乳酸菌生産物質の歴史
19世紀ロシアの学者が、ヨーグルトと健康の関係に注目して以来、我が国においても乳酸菌に関する研究は、目覚ましい発展を遂げてきました。
ここでは、乳酸菌生産物質が発見されるに至るまでの概略を分かりやすく記してまいります。
まず手始めに、ヨーグルトの歴史、成り立ちを簡単にたどってみたいと思います。
人類の歴史において、世界のあちこちで発酵乳が作られ、その土地土地の人々の健康に寄与してきました。おそらく、牧畜文化が発展する過程で、桶の中の乳に細菌が入り込むなどして、偶然に自然発酵した酸味のある飲み物が生まれたことが、きっかけだったのでしょう。たまたま、それを誰かが口にしてみたところ、体の調子が良くなり(また、保存性も向上する)次第に日常の食生活へと受け入れられ、広まっていったのではないかと伝えられています。
下の図に示したように、発酵乳は地域ごとに各々の特色ともって熟成し、その後様々な形で発展していきます。やがて乳酸菌生産物質に至る源泉といえるでしょう。
図解でわかる乳酸菌生産物質の系譜
乳酸菌生産物質の歴史
発酵乳と乳酸菌飲料と乳酸菌生産物質のちがい
上の図にもある通り、古代ヨーグルトが様々な過程を経て、現在では大きく分けて3種類の形で商品化され流通しています。
発酵乳 |
乳を乳酸菌または酵母で発酵させて作ったもの。無脂乳固形分8.0%以上。乳酸菌または酵母数1千万個/mL以上。
例)ヨーグルト、ケフィア、クミス
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乳酸菌飲料 |
・発酵乳をベースとして糖液や香料などを加えたもの。乳製品乳酸菌飲料:無脂乳固形分3.0%以上。
・殺菌乳酸菌飲料:乳酸菌飲料で殺菌したもの。
例)カルピス
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乳酸菌生産物質 |
乳または大豆を主体として乳酸菌と酵母で長時間培養後殺菌して成分を抽出したもの。死菌体を含むものもある。
例)アークフェロンZ、アミタユス
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乳酸菌生産物質の歴史・前編
ノーベル生理学・医学賞を受賞したロシア出身の免疫学者、E・メチニコフ(1845-1916)が、ブルガリア地方の長寿の理由は乳酸菌食品と関係が深いことに着目し、ヨーグルトを「不老長寿の妙薬」として世界に発表したのは1907年のことです。
ノーベル賞を受賞後の彼は、人の老化についての研究に没頭し、長い研究を重ねました。そして、老化とは組織を構成している細胞が衰弱したために食細胞の餌食になってしまう現象であるという説を考え出しました。
腸内にある腐敗菌が出す毒素による慢性中毒がその老化の原因と捉えた彼は、晩年の研究の集大成として、「腸内細菌のうち有害な働きをする腐敗菌が動脈硬化の原因となる毒性物質を作ることから老化が始まる」という説を唱え、乳酸菌が腸内バランスを改善・整腸作用をもたらすことを発表し「乳酸菌による不老長寿説」を提唱しました。
正垣角太郎 氏
我が国において、このメチニコフの「乳酸菌による不老長寿説」に感銘を受けたのが、医師の正垣角太郎氏です。
正垣角太郎氏は1903年頃より乳酸菌の研究を始め、1914年に京都に研生学会を立ち上げた人物です。
角太郎氏の没後、乳酸菌の研究は長男の一義氏によって受け継がれていきます。
大正時代の京都にあった研生学会は“正垣学校”とも呼ばれた
乳酸菌生産物質の歴史・後編
大谷光瑞 師
正垣一義氏が、乳酸菌生産物質の開発を手掛けるきっかけとなったのは、実業家としてもその名が知られた大谷光瑞(こうずい)師から「生きた菌ではなく、これからはその代謝物だ」という教えを受けたからです。
それは1943年、正垣氏が中国大連にて大谷光瑞農芸化学研究所次長に就任した頃のこと……実に終戦の二年前でした。
大谷光瑞師は、浄土真宗本願寺第22代法主でもあり、なんと計三度にわたるシルクロード探検の偉業も成し遂げた人物でした。
正垣一義 氏
その後、正垣一義氏は研究に生涯を投じ、乳酸菌生産物質を発見しました。腸の中の細菌とヒトの寿命に関する講演をかつて2度に渡って国会で行い、当時の厚生大臣から賞を受けています。
以降、正垣氏は1948年に寿光製薬株式会社を設立後、義報社から法光科学研究所に至るまで、乳酸菌生産物質の歴史を築き上げました。
弊社は1969年光英科学研究所として、正垣一義氏より研究機関として設立の命を受け、乳酸菌の共棲培養技術を踏襲し、現在に至るまで研究開発を続けています。『光英科学研究所』の社名も正垣一義氏によって命名されたものです。