2021.10.13

身近雑記

第130回 乳酸菌生産物質の技術から生まれた「味のちえ」

今回は乳酸菌生産物質の歴史を顧みて、弊社の前身となる株式会社義報社に私が入社し、乳酸菌生産物質について学んでいた当時の事業内容についてお話ししましょう。

 

私が入社した1959年(昭和34年)は、10円で渋谷から原宿まで電車に乗れ、ラーメンが60円の時代です。会社は山手線渋谷駅から徒歩5分の美竹町(現在、渋谷区渋谷)の「味のちえ」ビルにあり、事業を大々的に展開すべく、所長をはじめ全員が研究開発と販売に情熱を燃やしていました。

 

その時の会社の主力商品は、健康飲料として打ち出していた乳酸菌生産物質「スティルヤング」と、その技術を発展させて作り出した調味液「味のちえ」でした。

「味のちえ」は調味液という位置づけではありましたが、何か味付けを付加するというのではなく、食品そのものの素材の味を引き立たせて、自然の風味を引き出すことが特徴でした。

 

当時の日本は敗戦後まだ10年。食品を手に入れるのがやっとの時代で、国民の需要量に対応するのが精一杯でしたので、食品や素材そのものの味や美味しさは二の次、というところがありました。あまり美味しくないものでも食べられるだけで十分、という状況でもありました。

 

しかし、やはり食事を美味しく食べたいというのは、人間の素朴な欲求です。そのような中、乳酸菌の代謝物で出来上がった調味液「味のちえ」は、その食材がもつ自然味の特徴を生かし、風味を引き出すものとして展開しました。

 

「味のちえ」のもたらす食材の自然な風味を生かす効果は、当時の食品のプロの方々に大変に評価されました。

そば屋、鮨店、高級食堂、鰻屋、水産練製品、製パン業、製めん業、製粉会社、煎餅あられ製造業等、各方面に認められることになります。

 

学術的には、正垣所長が懇意にしていた慶應義塾大学、梅澤純夫教授(理学博士で日本初のペニシリン採取に成功、ストレプトマイシン等の抗生物質の研究で世界的に知られている方です)が「味のちえ」のペーパークロマトグラム分析を行い、科学的な補佐をしてくださいました。

 

このような画期的な製品でしたので、今も現存している大手企業数十社から業務提携の話も舞い込みましたが、正垣所長の研究開発のポリシーに合致しないということで、契約寸前までいっても成立しなかったことを思い出します。

 

そのような中、世間ではグルタミン酸を利用した「うま味調味料」の普及が始まり、食品素材に化学調味料を添加して味を良くする方法が発展していきます。人々も化学調味料で作り出された味に慣れていき、食品素材がもつ自然の風味が馴染まなくなってしまいました。

 

このような時代の変化に巻き込まれる形で、当時の会社の業績が思わしくなくなってしまったのは、今振り返ってもみても残念なことです。

 

しかし現代では、食品からなるべく化学的な添加物を除去する方向になってきているように思います。

そして、食品がもつ素材そのものの味を尊重するようになってまいりました。

素材の味の研究のために、大手企業では代謝物による作用を調べるためのメタボローム解析も利用されているようです。

 

食品そのものが持つ味わいを楽しむことも、健康に近づく一歩なのではないかと私は考えております。

 

そして、乳酸菌生産物質の技術がふたたび、みなさまの豊かな食生活のために、味の面からもお役に立てる日が来るのを願っている、今日この頃です。

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