2022.06.21
身近雑記
第140回 「父の日」の追想
梅雨に入り、雨模様の日が続いております。
つかの間の晴れ間に散歩していますと、陽を浴びて紫陽花が美しく色とりどりに花をつけていました。
雨の雫をまとっている分、草花は輝きを増しているように感じます。
そして帰宅すると、子どもたちから「父の日」の贈り物である花ギフトが届きました。
80歳代に足を踏み入れた私ですが、そのユリの花を見ながら、ふと、もう30年以上前に亡くなった私の父親のことを思い出しました。
明治生まれの私の父は、山口県で県会議員を務めておりました。
たいへん厳しい人で、幼いころに一緒に遊んだ記憶はありません。
戦後の状況でしたので、日本全体が貧しく、皆が生きるために必死な時代でした。
父はそのような状況の中で、政治活動が公にできない状況になっても、陰では、岸信介さん、佐藤栄作さん達と政治活動に明け暮れていたようです。
※詳しくは私考欄第2回「スティルヤングと母」をご覧ください
政治に明け暮れる父に反発するかのように、私は乳酸菌の研究所で働くため上京することを決めました。
すると出ていく私に、まるで追いかけるかのように父が絞り出したのが、「いいか、人には天命がある。どのような境遇に遭遇してもプライドだけは絶対守れ。」という言葉でした。
「プライド」という言葉が当時の私には強烈に胸に突き刺さりました。
その後、様々な境遇に合いましたが「プライド」は人生の羅針盤になっています。
そして年月が経ち、東京で私が乳酸菌の研究事業を継承して、サラリーマンをしながら二足の草鞋で10年歩んでいた頃、突然、山口から父が上京してきました。
来るなり「国会に連れて行け」と言うものですから、戸惑いながらも車で議員会館に行くと、父は慣れたように入館手続きをして議事堂内に入り、とある山口県出身の大臣の部屋へ入って行きました。
私が驚きながら着いて行きますと、その大臣の秘書官たちに向かって、父が厚かましく色々と指示をはじめました。
私はびっくりしてその様子を見ていましたが、おもむろに大臣は静かに立ち上がると、父に「村田さん、赤プリで話をしましょう。」と、私と3人で近くにある赤坂プリンスホテルのロビーに移動しました。
父が山口から上京してまで、大臣に直接伝えたかった話の趣旨は、「大臣は、いつになったら総理になられるのか。」という事でした。
山口県と言えば、日本ではじめての総理大臣、伊藤博文氏から現代の安倍晋三氏に至る総勢62人の総理大臣を輩出した特別の県です。
「人々のための政治をしたい」という熱い思いで、県政の参謀であった父は、人々のためにこの大臣にぜひ総理になって欲しいとの願いがあったのでしょう。
しかし、父の話を受けた大臣は、両手の平を天井に向け押し戴くポーズをされました。
「総理大臣のお役目は、天から戴くものです。」
その大臣の姿を見た父は、すぐに話題を変え、早々に席を立ちました。
帰りの車の中、父は「大臣には県知事を二期やってもらって、中央政界の赤絨毯を踏んでもらったのだが…。」と落胆した様子でした。
父としては、大臣に総理になってもらうために、県内で血のにじむような努力を重ねてきたのだと思います。
しかし父はこの件について、以後、多くは語りませんでした。
この出来事は私にとって無言の教えとなりました。
その後、父は80歳でこの世を去るまで、山口県の地方紙の発行者として記事を書き続けました。
まさに「この世のために」を全うした人生だったと思います。
そして私も、「乳酸菌生産物質を普及して、人々の健康のために貢献する」覚悟を新たにした、意義のある父の日でありました。
近年は健康食品市場だけでなく、一般的にも「健康には乳酸菌」という概念が定着しつつあります。
しかし、人の健康に役立つのは乳酸菌そのものだけではなく、その代謝物である「乳酸菌生産物質」がより重要です。
この本には、16種35株のビフィズス菌を含む乳酸菌の共棲培養技術のノウハウや、「乳酸菌生産物質」の商品化の知識など、私の視点から見た「乳酸菌生産物質」に関する情報が余すところなく盛り込まれております。
ぜひ第1巻に続き、第2巻もお手元で開いていただければ幸いです。
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