2024.02.20
身近雑記
第160回 「自然の摂理」を貫いた55年、乳酸菌生産物質
本年を持ちまして、株式会社光英科学研究所は創業55年、法人化30周年になりました。
乳酸菌生産物質ご愛用の皆様には、ひとかたならぬご支援ご愛顧にあずかり、誠にありがたく感謝申し上げます。
これまでの道のりを振り返ってみますと、63年前に私が大谷光瑞農芸化学研究所に入社した日に遡ります。
乳酸菌生産物質の生みの親である正垣所長に、当時、乳酸菌の培養室に案内され数百本に及ぶ乳酸菌を培養中の試験管を見せていただき、「貴方がこれからお付き合いをしてゆく乳酸菌達です。」と説明をされ、驚いた私が「この乳酸菌はどこから来たのですか」と質問をしますと、「大変いい質問ですね。この菌達のふるさとは貴方がたのお腹の中ですよ。」と答えていただきました。
当時は「腸内環境」という言葉は存在しておりませんでしたので、私にとって所長の一言はカルチャーショックでした。
こうして、体に良い腸内細菌の共棲培養技術の研鑚が私の日課となっていったのです。
そして、研究所ではひとつひとつの菌ではなくて多種類の菌の育成と、その組み合わせが研究対象となっていました。
また、生きた乳酸菌ではなく、その代謝物がターゲットとなっていました。
今にして思えば、健康に寄与できる腸内環境へのメカニズムを紐解くかたちで、腸内細菌の共棲培養法の研究が当時から進められていたと理解できます。
自然の摂理として、人の腸内細菌の生態系が研究対象となっていたとも言えるでしょう。
そしてそれは、私が乳酸菌と接するときに一種類の菌に固執することなく研究を進めることができた原点とも言えます。
乳酸菌の培養室に案内されて入社してから10年後、正垣所長の特命により、光英科学研究所として技術と事業を継承し、次のステージへとスタートしました。
それからの長い年月をかけて現在に至る研究には、自然の摂理に準拠した技術が根幹にあってこそ、と思わざるを得ません。
光英科学研究所の乳酸菌生産物質は、日本国内は元より近年は海外への輸出量が急増しております。
日本の下町ロケットならぬ、日本で開いた乳酸菌の花として世界に向けて広がってゆくことを夢見ている今日この頃でございます。
これからも世界のできるだけ多くの方々の健康のために、乳酸菌生産物質の普及にご支援いただきますよう心からお願い申し上げます。
近年は健康食品市場だけでなく、一般的にも「健康には乳酸菌」という概念が定着しつつあります。
しかし、人の健康に役立つのは乳酸菌そのものだけではなく、その代謝物である「乳酸菌生産物質」がより重要です。
この本には、16種35株のビフィズス菌を含む乳酸菌の共棲培養技術のノウハウや、「乳酸菌生産物質」の商品化の知識など、私の視点から見た「乳酸菌生産物質」に関する情報が余すところなく盛り込まれております。
ぜひ第1巻に続き、第2巻もお手元で開いていただければ幸いです。
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